本家柴藤について

ご挨拶

八代将軍 吉宗が愛した鰻の老舗 将軍家に川魚を献上した時代から300年。鰻料理を始めて現在15代目でございます。
桂 春団治の落語の中にも柴藤の鰻一節があり、当時の美食家が通う店の一つとして取り上げられています。

~上方落語「うなぎや」より一節~

「おかしぃなあ」思たら今度〈井筒〉の前通り掛かったんで
「イヨッ、今日はうどんで一杯呑ましてくれる、うどんで一杯ちゅうのんも洒落たぁるわい」思てたらね
〈井筒〉の前も知らぁん顔して通り過ぎよんねんで。
今度〈柴藤〉の前通り掛かったんで、「イヨッ、上等のウナギ張り込んでくれよるねん、ありがたいなぁ」思てたらね
(以下省略)

初代治兵衛氏が始めた川魚商から始まり、御拝領の屋形船から土佐堀、淀屋橋、今の高麗橋へとお店は時代とともに移りましたが細々と続けられているのも、いろんな方々の“おかげ”と感謝しております。

何卒御贔屓の程よろしくお願い致します。

本家柴藤の歴史

創業享保年間  上方鰻の老舗・本家柴藤。
創業者は将軍家に魚を献上する川魚商を営み、八代将軍 吉宗からの勧めで料理屋「柴藤」を大阪城付近で開業したのが始まりと伝わっています。
川の多い大阪の町では、屋形船でおいしい料理を楽しむのは風流とされ、とても繁盛しました。

しかし、それでも創業者はうなぎの美味しい食べ方を研究し、名高い「間蒸し」を考案しました。
間蒸しとは、ご飯とご飯の間にうなぎを挟んで蒸すもので「ご飯の間(ま)で蒸す」というのが語源といわれています。
まぶす(混ぜるということ)が言いにくいので、いつの間にか「まむし」と 言うようになったという説もあります。)
柴藤の大阪まむしは代々伝えられた上方鰻の代表として、全国の皆様に愛されてきました。